マンハッタン パッセージのメーカー 株式会社レジャープロダクツ

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 会社の歩み 〜第二章 1970年代


 

■ 第二章 1970年代「レジャープロダクツ設立」

1974年5月、当社は「世界のベストクオリティーバッグの開拓者たらん」という理念をかかげ、東京都文京区のビルの小さな一室に弊社の前身である「東京ライン営業所」を開設。
株式会社レジャープロダクツ 創業跡地
1974年の創業当時、事務所があった場所。 現在(2009.10)は取り壊され、新しいビルが建築中。

1979年1月、株式会社 東京ラインから株式会社レジャープロダクツへ商号変更及び本店を東京都小平市へ移転。

設立後間もない社屋。1979年に本社を小平市花小金井に移転

引き続き北米市場にバッグを輸出し順調に業績を伸ばしていました。ある時、当社が開発・製造し、北米・ヨーロッパ・オーストラリアへと輸出していた(当時は、日本市場へは未投入)バッグパックを背負っている若者を日本でみかけるようになりました。それは、75年のニクソンショックで円高が進みアメリカ・カナダ等海外へ旅行した日本人が買って、持ち帰ったものでした。太平洋を二度渡って“祖国”に戻ってきたバックパック。その事実を目の当たりにし、日本でもレジャー・アウトドア時代が到来することを確信したのです。米軍軍装品の製造で高度な技術力に磨きをかけてきた当社は、デイパック、バックパック、3way-packの開発を始め、新製品を次々と生み出し、現在の日本のデイパック・バッグパックメーカーの先駆者としての役割も担ってきました。


1974年(昭和49年)
デイパックの開発&販売
「Tear DropU」

日本のデイパックの先駆者として、新素材ブラッシュド・ナイロンを使用したデイパックを開発、カナダのTAYMOR社等へ輸出。当社の事業は海外市場からスタートしたのでした。

1974年 WA53「Tear DropU」(日本で開発・製造&輸出)


1975年(昭和50年)
自立型フレームパックの開発&輸出販売
「VOYAGE T」

60年代から70年代にかけてバックパックの主流であったエクスターナルフレームパック。当社では、新素材スーパーロンの使用をはじめ、独自の自立型アルミフレームの採用等により機能性、耐久性、デザイン性に優れた先進のエクスターナルフレームパックを開発。本格的フレームパックとして話題となりました。
1975年 WA60「VOYAGE T」(日本で開発・製造&輸出)


1975年(昭和50年)
内蔵型フレームパックの開発&輸出販売
「RAPAROUNDV」

当社が次に挑んだのは「大自然を歩くバックパッカーたちの安全」というテーマでした。そして、それは従来型のエクスターナルフレームの欠点を克服した人間の身体とより一体化したインターナルフレームパックの開発だったのです。新素材ナイロンによる徹底した軽量性と耐久性、そして人間工学に基づく形状とデザイン性を追求してり誕生したのがインターナルフレームパック「RAPAROUNDU」です。


1975年 WA57「RAPAROUNDV」(日本で開発・製造&輸出)


1979年(昭和54年)
JONES社と業務提携


1979年、当社はカナダ最大のアウトドア用品メーカー「JONES」(ジョーンズ)社と業務提携を結び、同社ブランドで北米、ヨーロッパおよび日本国内でもデイパックを販売。JONES社は1887年に創業、テント、寝袋や防寒衣料などのアウトドア用品専門メーカーとして歴史を誇る名門企業ですが、当時バッグ類は製造販売は行っていませんでした。JONES社は当社製品を北米市場で見つけて、その独創性や頑強さ、デザイン性に関心を持ち、当社に開発・製造を依頼してきたのでした。その結果、当社はJONES社のバッグやパック類の企画・製造を一手に引き受け、この業務提携によって飛躍の時を迎えました。
1887年創業のJONES社と商品パンフレット

1974年当時、当社が製造し、アメリカ・カナダ等海外へ輸出販売されていたデイパックが、1979年、JONES社と業務提携しし、日本国内でも販売開始されると、1980年にはNHKテレビのニュースでも紹介されるなどして、80年代にかけて日本国内でも若者のファッションとして話題となりました。


NHKで放映(ハンズ渋谷店取材)1980年、NHKのニュースで当社製(JONES)のデイパックが紹介されました。


当社の歴史を語る上で重要なことは2つの世界的アウトドアメーカー、アメリカのキフィー・プロダクツ社とカナダのJONES社と業務提携したことです。その伝統ある海外メーカーとの事業を積極的に行ってきたことで、当社はバッグメーカーとしての力を着実に付けていきました。

アメリカは素材の開発においては当時も今も世界最高水準でした。バッグ製造に使う生地も、当時は日本のものとは比較にならない程、高品質かつ多種多様。一方、縫製に関しては日本人ならではの繊細さとモノづくりへのこだわりが息づいており、日本の縫製技術は世界一と言っても過言ではありませんでした。「世界最高水準の素材と世界一の縫製技術が融合したら、世界でベストクオリティのバッグができるはずだ」と私たちは考えました。

現在では、その世界一の縫製技術とモノづくりの精神を中国の委託工場に移転し、厳しい生産管理と品質管理のもと、製造を行っています。ひとつひとつディテールにこだわり、丁寧に仕上げているため、あえて大量生産はしないのです。

 >chapter3  第三章 「MANHATTAN PASSAGE」ブランドの誕生〜1980年代



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